【登場人物】
白石はじめ……何事にも全力を注ぐ不器用な女の子。笹原みなみとは仲良くない。
笹原みなみ……毎日を後悔しないために全力を注ぐ女の子。人をよく見ているが自動販売機は押し間違える。白石はじめとは知り合い程度。
私、白石(しらいし)はじめは知っている。この世の中は真面目だけでは生きていけないんだと。
生きづらい、とでもいうんだろうか。どれだけ頑張っても、丁寧に物事を完遂しても評価してもらえる場面はあまりに少ない。
虚しいというかなんというか、もう少し見てほしいななんて思ってしまう。毎日かえてる花瓶の水、丁寧に書いたクラス日誌、白いのが残らなくなるまで消した黒板も、見ない人は見ないし、気にしない人は気にしない。結論言うと、“私だけのエゴ”なんだ。
「えっと、佐々木さんは今日の授業でたくさん発表してたし、佐藤くんは────」
真面目、丁寧とも言えるかもしれないこの性格は、今の世の中じゃ「効率が悪い」と括られた。
はっきり言われたことはないにしても、遠回しに「終わる時間を考えながらしたほうがいいよ」だって。どうしろって言うんだろう。わかんない、わかんないな。
「……あ、まただ」
カリカリと今日のことを思い出しながら懸命に書いたそれは、クラス日誌というよりは日記になってしまっていた。いつもこうだ、私が日直の日はいつも。もう一人はあっという間に帰ってしまった。窓に差し込む夕日がこんなにも虚しいだなんて思わなかった。この感情にはまだ慣れない。
「でも、綺麗だよね」
可能な限り短く要約しながらも今日の出来事を分かりやすくまとめたそれは、言ってしまえば力作だ。何度読み返しても至らぬ点は見つからない。
いや、多少の誤字とか連語はあるかもしれないけど。……やっぱりもう一回書き直したほうがいいかもしれない。
「えと、消し、消しごむは」
あれ、どこ行ったんだろう。書き直したいのに、どうしてもほしい時に限って見つからない。ポケットに入れちゃった?カバンの中かな。それとも、どこかに落とした?
「探し物はこれ?」
「へ?」
窓の夕日をバックに、私が必死になって探していた消しゴムをあっさりとその人は拾い上げた。
「ここに落ちてたよ」
「良かった、ありがとう」
「あとこれお土産のはちみつレモン」
「へ?」
「間違えて押しちゃったんだ。私甘いの苦手だから、誰かいないかなーと思ってたんだけど、まさかまだ残ってたなんて」
「……はぁ、あり、がとう」
にっこりと笑う彼女、笹原(ささはら)みなみに私は少しだけ目を逸らしてしまった。
消しゴムが見つかったのは嬉しい。拾ってくれたのもありがたい。甘いジュースだって大好きだ。でも、「まだ残ってる」って言葉に、少しだけため息が漏れそうになる。“まだ”日誌を書いてたなんて、他の人から見たら確かにおかしいんだろう。
「もう一人の子は?」
「帰ったよ」
「えぇ?ひどいなぁ」
ひどいもんか。妥当だと思う。誰が何時間も必死になってクラス日誌を書いてる人を待とうと思うんだろう。
30分したところで「先に帰るね?」と聞かれたけど、よく一緒にいてくれたほうだ。
「疲れた?」
「別に、書くのは嫌いじゃないし」
「へぇ、これ綺麗だね」
「へ?」
「クラスのことよく見てるって言うかさ、はじめちゃん、こういうの得意なの?」
時間をかけて書いた日誌を手に取って、
「いつもありがとう、はじめちゃん」
そう、笑ってくれた。
「っ……」
彼女とは友達、ともいい難いような遠い関係で。きっと高校を卒業したら会うことだってないだろう。それくらいの関係のはずなのに、なんだかとても、その言葉が嬉しかった。
見てくれた、褒めてくれた、認めてくれた。“私だけのエゴ”が、報われた気がした。
どうしよう、嬉しい。すっごい嬉しい。
「どうしたの?……あっ、いきなり名前呼びは馴れ馴れしかったかな、ごめんね白石ちゃん」
「いや、そんなんじゃなくて」
「私のことはみなみって呼んでよ、また明日ね白石ちゃん」
「だから、そのっ」
見てくれてありがとう、とか。言ってくれてありがとう、とか。心が温かくてドキドキして、嬉しいのに、声に出せない。多分、初めてだったんだろう。
“見てくれてる”って、こんなに嬉しかったんだ。
「……ありがとう、みなみ、ちゃん」
この日のことは私にとって大切な思い出で、ずっとずっと忘れることはないんだろう。
甘い気持ちが心の中を満たして、そこに少しだけ、この“想い“は持っていてはいけないと言う苦さが混ざり合った。
「甘酸っぱい……」
彼女にもらったはちみつレモンを飲みながら、明日も頑張ろうと、心に決めた。
おわり
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